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田染幸雄の世界 自然との語らい

 
27
 
なっちゃんの思い出

これも私が小学生(2,3年)だった頃のこと、
チョコレートを沢山いただいた思い出があります。

今は中野区役所やサンプラザ・中野ブロードウエイがある辺り、
多分あの辺り一帯だったと思うのですが、
戦時中は陸軍中野学校があったとか・・
敗戦後は接収されて、アメリカ軍の基地になっていました。
その頃の思い出です。


高円寺の頃・チョコレート
 
中野駅で、おじちゃんが切符を買ってくださっている間、
今しがた出てきた門の方を振り向いたなっちゃんは、
そこに、鉄砲を持ったアメリカの兵隊さんが二人も立っているのが見えて
本当に、びっくり!
その門からたった今出てきたなんて!!
何で気がつかなかったんだろう!

その日、表で遊んでいたなっちゃんに、
近所のおじちゃんが、車に乗るようにって声をかけて下さったの。
その人は、中野のアメリカ軍基地で通訳のお仕事をしているんだって
お家の人が話しているのを聞いた事があったし、
なっちゃんもよく知っている人だったので、
大喜びで、車に乗せていただいちゃった!
ジープっていう車!
あちこちでよく見ていたから知ってはいたけれど
乗るのは初めて!
 
それで、どこへ行ったと思う?
おじちゃんが働いているという、中野のアメリカ軍基地!

車に乗ったまま門を入って、すぐ近くの建物の前で車から降りたの。
言われたとおり、建物の中の薄暗い廊下で待っていると、
おじちゃんが、薄茶色の袋を持ってきて、
〈はいこれ、おみやげ〉ですって! 

中身は何だと思う?
ぜーんぶ、チョコレート!
なっちゃん何だか、どきどき、わくわくしちゃった!
  
そしてその袋をかかえて、
おじちゃんに送られて駅まで歩いてきたから、
袋の中身のことばかり考えていて、門のところの、
アメリカの兵隊さんに気がつかなかったんだ、きっと!


記憶にあるのはたったこれだけ。
ジープに乗って、中野にあったアメリカ軍基地に行ったこと、
門に近い建物で待っていたこと、もしかしたら、
かまぼこ兵舎か何か、簡単な建物だったような気がします。
 
ジープに小さな子供を乗せたまま警備された門を通過出来たなんて・・
でも、チョコレートを頂いた記憶はしっかりと残っているし、
どんなチョコレートだったのか、包装紙の色も憶えています。

昭和22,3年頃の話で、私は小学校2,3年生、
当時、至る所が接収され、アメリカ兵があふれていました。



もう一つチョコレートの思い出

これは、まだ私たち一家が埼玉に疎開していた頃の話です。
当時(1946年)小学校1年生だった私は一人、
夏休み期間中、高円寺の親戚の家に預けられていました。

その家では、近所の人たちと
無尽講(頼母子講)を開いていましたが、
その人達の親睦を兼ねた高尾山詣でがあって
当時その家に預けられていた私も連れていってもらったようです。

その時の思い出です。

高尾山からの帰り道…
おとなたちの後をただだまってついて歩いていただけなので、
駅の名前はおぼえてはいないけれど…

そのとき、なっちゃん達が立っていたホームに、
こげ茶色の汽車も止まっていました。

そしてその汽車には、およその国の人たちがいっぱい乗っていました。
みんな、兵隊さんのかっこうをしていて・・

おばさん達は小さい声で、〈ほらアメリカだよ!〉ですって。
それだけだったらよかったのに、その次に起きたこと…

その人たちが、
窓から何かを投げはじめたの。
なんだか半分ふざけているみたいに、おもしろ半分みたいにね…

ほんとうにびっくりして、思わず後ずさり!
それをひろう人もいたり…
チューイングガムだとかアメだとか話している人もいて…
およそのおばさんが、なっちゃんの背中を押しながら、
〈早くあんたももらってきな〉ですって!
でも、でも…そんなことするのいや! やっぱりいや! 
どんどん後ろにさがっちゃった!

だって、こんなこと初めてだし…
それにほんと言うと、なっちゃん昔から、
アメリカ人もイギリス人もみんな毛むくじゃらで、
耳が大きく立っていて、まっかな顔したオオカミか鬼みたいなもので、
人間じゃないって思っていたの。

高円寺に来てからはじめて、
町を歩いている人やジープに乗ったアメリカの人を時々見ていたから、
やっぱり人間だったってことはわかってきてはいたけれど、
でもね、こんなに沢山のアメリカの人をいっぺんに見なければならないなんて…
だからできるだけ遠くの方からそうっと見るだけにしていたの。

そうしたら、ひとりの人が窓からからだ半分乗り出すようにして、
顔だけ動かして、なっちゃんにおいでおいでってしてるみたい、
なんだか紙ずつみみたいなもの持っててね。
でも、なっちゃん思わず首ふっちゃった!

その人ったら、しばらくのあいだなっちゃんをじいっと見ていたけれど、
持っていたものをほうり出すようにして中にひっこんじゃったの! 
すぐおよその人がそれをひろっていたけれど…
なんだか紙につつんだお菓子みたいだった。

〈あんたばかだね〉ってひとりのおばちゃんが言っていたけれど、
〈もしかしたら、あの人に悪いことをしたのかなあ…〉って
そのときなっちゃんは思ったの。




次の思い出もアメリカ兵にまつわること。

昭和23年の11月に、私たちは、高円寺から新宿に引っ越している。
そして、多分その直後の事だったと思うのだけれど、
東京医科大学の校門近くで経験した、
進駐軍兵による怖い思い出がある。

その時は、伯父と二人で歩いていた。
伯父と二人新宿駅から歩いてきて、花園神社の前のゆるい坂道を登り、
東京医科大学の正門近くまで来たとき、
突然、数人のアメリカ兵に道をふさがれてしまっていた。

そんなに遅い時間ではなかったけれど、11月も末、
それに、当時は外灯などあるわけもなく、
かなり暗かったように憶えている。

中には黒い人もいて、まさに通せんぼ状態・・
彼らは、何か早口でまくし立てていて・・
きっと、お金か何かを寄こせと言っているのだろうと
小さいなりに気をもんでいると、
中の一人が、ふっと私に気がついたらしく、
やめろとでも言うようにみんなを制し・・
お互い何となく顔を見合わせていたようだけれど・・
 
やがて、戻れとでも言うように手を振るので、
伯父と私は、もと来た道へ・・

そして途中右に曲がって・・抜け弁天へ抜ける道・・
中ほどにある交番(この交番は、同じ場所に現存)に立ち寄り、
アメリカ兵の話をしたのだけれど、
3,4人いた警官はただただ困った顔をして、
顔を見合わせるばかり・・ やがて、
〈暗くなったら、今後、あの辺は通らないようにしてください〉
と言っただけ・・

小さいなりにわかったこと・・
〈これが戦争! 戦争に負けるってこういう事だったんだ!〉

どこもかしこも焼け野原、そこにバラック造りの家が建っていて・・
あちこちから富士山が見えた。
遠く、山手線の電車が走っているのも見えた。
伊勢丹だけは焼けずに残っていて・・。







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